Infomation and DAIRY

ひび描いた絵をアップしていきます。思考の場、発見の場でもあります。

 


Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.681 『好きなこと』 

: watercolor on paper

好きなことなら続けられる。続けていると不思議なこともおこる。人生とはそういうものだと思います。

2017 5/04

 

No.680 『本質を考え抜く』 

: watercolor on paper

 前回は広告の話しを書きました。何か問題があるとき、広告という方法を取る。しかし、お金で解決しようとする前に、もう一度「やっていることの本質」を考えることが大切だと思います。例えば、パン屋さんに人が来ないとします。するとすぐに広告を出そうと考える。しかし、そこで一度、「パン屋とは何か」を徹底して考えるべきです。もし、自分の生活もかかっているのであれば、自分の人生を問い直すことも迫られます。しかしそこまで考え抜いたほうがいい。もし速断して広告を出せば、問題は解決したかのように思われる。しかし実際は、問題が悪化した形で未来に現れる。

 現代のように、なにか問題が起きるとすぐにお金で解決しようとする発想は、長い目で見ると社会や文化が衰退する危険性があると思います。なぜなら、問題が出るのは、やっていることと事実との間にズレが発生しているからです。本質から逸脱している。だから問題となって現れるのです。そこを突き止める苦労(心を使う苦労)を避けて、簡単にお金で解決しようとすれば、問題は後々大きくなって返ってきます。やはり問題が起こった時は、そもそもなにをやっているのかを考え抜くことが大切です。それが倫理というものであり、最高の解決法に至る道なのだと思います。

2017 5/03

 

No.679 『芸術と広告』 

: watercolor on paper

 先日、教室のホームページをスマートフォン用にすると、検索のとき有利だという話しになりました。私はそんなことしない方がいいよと答えました。本当はホームページという広告を出していること自体が、絵の教室(芸術)としてはギリギリだと考えています。ましてやホームページ以外に広告料を払って広告を出すといったことは、私の考えではやってはならないことに入っています。

 絵とはそもそも芸術であり、広告とは関係のないものです。しかし結局は芸術よりも経営に熱心になってしまう人がいます。そのような人の形式はすでに反芸術的だと感じます。純粋な表現を志すことで、芸術の感性は磨かれます。そのような形式の教室とそうでない教室の区別は、広告に熱心かどうかを見ればすぐに分かります。内容を見るまでもありません。

 広告を出さないと、もちろん人には知られにくい(立ち上げ時に多少は必要でしょうが)。もし、自然にやって人が来なくなれば潔く辞めるだけなのです。広告による延命はしないほうがいい。しかし、過剰な広告なしでも、教室を見つけて来てくれる人がいます。それは既に“芸術的な出会い”を表しています。広告の力より芸術の力を信じる方が、人間にとっての“自然な環境”が生まれる可能性は高いと思います。

2017 5/01

 

No.678 『自然な日』 

:

昨日は久々に山に登って来ました。天気もよく、山の中は程よい暗さで空気も澄んでいました。登り始めてすぐに、ハンミョウがミミズをくわえて目の前に現れました。こちらが歩きを止めると向こうも止める。なにげない自然との相互作用を楽しみながら、木漏れ日の中を歩きました。坂道を降りる帰り道、中学生の一団が数人ずつ登って来ていました。すれ違うときにみな挨拶をしてくれる。もちろん私も挨拶を返す。結局、一団全員に挨拶をすることになりました。ハンミョウと出会った場所では、赤く色づいた葉がクルクルと風に舞っていました。

2017 4/30

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.677 『自己自身の表現』 

: watercolor on paper

細かいデッサンを抜きにして、感覚的に描いていく。物理的な正確さよりも印象(気持ち)を優先する。つまり自分の心にとって正確であろうとすること。即ちこれが自己自身だろうと思います。

2017 4/28

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.676 『普遍的な情報』 

: acrylic on paper

いろんな本を読んでいると、「何をすべきか」よりも「何をすべきでないか」が段々と見えてきます。歴史的な名著になると、どれも言葉を変えで同じことを繰り返し述べています。そのような事柄は、人間にとって普遍性のある事柄です。例えば紀元前に書かれたものと、現代物理学の本で同じ事が言われていたりします。つまりどの時代においても、人間が行うことは似てくるということです。ネットからの情報を少し控え、名著を時間をかけて読んでみる。普遍的な情報を得ることで、真に実践的な流れが見えてくるのだと思います。

2017 4/27

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.675 『自然な世界』 

: water color on paper

 この絵は、近くの公園でも出会えるイソヒヨドリ。自然を観察する事は、人間のあらゆる活動の基盤となる大切な要素です。しかし現代は都市化が進み、人工的な公園で、草花に触れるしかないといった所もたくさんあります。

 自然がないと、自然への興味を失い、その分意識が「物質」(或いはその前提となる結果)へと向かいます。物欲には際限がなく、無限に人を引き回してしまう。にもかかわらず納得は得られない。 企業はさらに物欲を刺激し、悪循環ができています。

 自然を観察する余裕があれば、物質に支配されずに済む。急いた気持ちを落ち着かせ、自然の色や形に意識を向けてみる。すると公園には、鳩やスズメだけでなく、ムクドリやヒヨドリがいることに気づく。そこに自然な世界があるのです。

2017 4/26

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.674 『世界を1ミリ広げる』 

: water color on paper

 得も言われぬ息苦しさを感じるとき、理由はわからないが、なにかに追い立てられていると感じるとき、そんなときは、「すべてを決めつけてしまっている」ときです。しかし決めつけることができる領域は、実際はごく限られています。本当は不確定で偶然に満ちた世界が広がっている。それをそのつど探査し、分析しながら自分のセカイにしていく。そのことで少しずつ世界が広がっていく。その労力を無自覚に避けて、すべてを決めつけて過ごしていくと、世界は小さくなる。するとすぐに窒息する状態になる。こういった状況に対する解決法は、いつもと違う世界を感じること。映画や音楽、絵や本でも、いつもとは違うものに触れてみる。すると新しい空気が入ってくる。当然、世界は少しだけ広くなる。たとえ1ミリであっても広がれば変わる。これは驚くほど効果があります。なにか息苦しさを感じたときは、世界の広げ時です。

2017 4/24

 


No.673 『お別れ』 

:

 昨日、私も通ったことがある、セツ・モードセミナーが閉校しました。やはり自分が通った場所がなくなるというのは寂しいものです。今思うと、あの場所に助けられたな、という感じがします。当時、絵はすでに描いていました。しかし何か見通しの立たないものがあって、スタイルと価値観が似ているセツを選んで、そこで絵を描きました。結局、普段の生活空間から離れた場所で描くことが、自分にとって良かったようです。

 私がセツへ行ったときは、すでに節さんはお亡くなりになっていました。直系の弟子たちが、その思想を大事に、セツの文化を存続させていた。私は節さんの「思想」にも興味があったので、作品や本、そして空間からいろいろな事を学びました。日本の戦後思想と社会状況が、長沢節という個性を媒介とし、セツ・モードセミナーが生まれた。結局はみんなが必要としたから生まれ、今まで維持されてきた。

 セツ出身で、今では巨匠と呼ばれる人が沢山います。面白いのはどの人も長沢節のコピーではないということです。だれも真似などしていない。吸収したのは大きな価値観や文化だろうと思います。そしてなにより、もやもやした時期に、あの場所に助けられた。その意味では一種のシェルターではなかったかと思います。セツの生徒ではない人も勝手に「避難」して来ていたような所なのですから。

 セツは消えました。長沢節が空間に構造化した思想も、あとは通った人々の体感的な記憶に残るだけです。セツ出身の仲間が、閉校の情報をよくメールしてくるようになったのは、やはり寂しさの感覚からでしょう。私も聴いた瞬間寂しくなりした。この感覚は、自立を促す感覚です。お別れというものはそういうものです。

2017 4/24

 


No.672 『絵画教室のこと』 

:

 最近、他の絵画教室の話をよく耳にします。それは教室をやっている自分にとって、かなり違和感のあるものです。よく聞く話しが、始めてから半年や一年間、デッサンばかりで色を使わせて貰えない、というものです。ひどい場合は、デッサンが上手くなるまで、色はずっと使えない、という所さえあります。これは描く人にとっては面白くないし、場合によっては苦痛でしょう。

 なぜそのようなことを強いるのか。絵画の世界には、西洋で作られたメソッドがあります。そのなかには、先のようなプロセスを是とする流れもある。しかし、それは古いやり方であって、現代には合わない。しかし、そのやり方で今の地位を築いた人は、他の方法を取ることができない。自分の方法を、個人差を無視して適用することが、美術教育だと思っている。

 しかし芸術とは本来、人間のものです。人間の心や感性から出発するもの。規則に従うことでも、古いものを継承することでもありません。芸術とは、それに接する人が“自由”になるものです。そのことをいま一度考えることで、先のような手法を改める理由が見えてくるはずです。封建的な社会が、芸術の世界に残っているのだとすれば、これほど皮肉なことはないと思います。

2017 4/22

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.671 『文化を作る』 

: acrylic on paper

文化とは無秩序のなかに秩序を作り出す作法です。なんでもありの世の中は、実際に無秩序化してるように見えます。テクノロジーの発達と、資本主義の形骸化によって、人々にとって自然な秩序が出来にくくなっている。そこに一本の筋を通せるのが文化です。しかし、そのような文化を作り、維持していくためには努力が必要です。現在の価値観を見直し、本当の意味での「私たちを豊かにするもの」を作っていく。そういった意気込みを持つことも大切です。文化とは、その時代に生きる人々の「心」によって作られるのだと思います。

2017 4/21

 

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