Infomation and DAIRY

日常の言葉から気になる概念を拡大する試み。自分なりの「考え」と「絵」で対象に接近してみたいと思います。

 


Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.039 『過去』 

:

 過去とは過ぎ去った時です。終わってしまったのでどうすることもできない。だから人をいろんな形で拘束したりする。しかし本当に過去は動かしがたいものなのか。そうとは限らない。過去は現在の“文脈”にあたるものです。現在の意味がその文脈に依存するのは当然でしょう。しかしその文脈の意味も、これからの行動によって変えることが出来る。
 例えば、映画のラストを変えると、それまでのドラマの意味が変わる。「どんでん返し」なる言葉も、未来によって過去の意味が変わることを意味しています。よって、過去をより良いものいしたければ、これからを良くすることに専念すべきです。そうすれば過去はより良いものに変わっていく。過去を反省的に受け入れ、今と未来を誠実に生きる。この良き波は現在を軸として、過去へと反転していくのだと思います。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.038 『弁証法』 

:

 弁証法とは、哲学者ヘーゲルが見出した概念です。簡単に言うと、あるレベルでの矛盾を、一つ上のレベルにおいて解決する方法です。前提を引き上げることで、それまで矛盾していたことが矛盾ではなくなる。そのかわりに前のレベルは捨てることになる。Aを捨ててBへ行く。Aの問題はBにおいては「加減の問題」として解決される。
 しかしBの世界が続くと必ず問題(矛盾)が現れる。そこでBのレベルを捨てて、次のレベルでの統合を目指す。魚がエラ呼吸を捨てて陸へと上がる時、森のサルが森を捨てて草原へと旅立つ時、そこには弁証法的な進化がある。進んだ先では以前の矛盾は統合されている。
 ポイントは、この捨てることによって進むことは「逃避」ではないということです。「逃避」は逆行であり退化への道です。弁証法は進化への道。心理学的に言えば、その人にとって捨てる行為が最も苦しいことでなければ意味がない。だからなかなか難しい。私は自分のことを以前「怠け者」だと表現しましたが、それはこの弁証法が分かっていながらも、意識しておかないと捨てなくなる、という意味で使いました。多くの人が「本当にやりたい事に挑戦しない」という現象も、このことと深く関係しているのだと思います。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.037 『逃避』 

:

 例えば、自我が弱い人は、物事を最後まで遂行することが出来ない。必ず最後は「逃避」に走ってしまう。そのときに行う心理操作は決まって、今までやっていた物事の価値をおとしめて「逃避」を正当化する。これは、常に外部をおとしめて相対的に自分を高めるというトリックでしかないので、「逃避」は繰り返される。
 そもそも、なぜ逃避してしまうか(物事を貫徹できないのか)といえば、それは変化や成長を自ら拒んでいるからです。物事を深めていくと必ず自己の変革を迫られるときが来る。それは「自我の組み換え」でもある。しかし自我とは関係で出来ているがゆえに、自己変革は関係の改変をも意味します。
 ここで問題となるのが、親離れ出来ていない人です。出来ていれば、関係の改変はそう問題にならないでしょう。親離れ出来ていない人は、親離れを迫られる状態となる。潜在的にそれができない人は、現状を放棄する形でケリをつけることになる。これが「逃避行動」です。
 「逃避」は親への恐れが原因であり、その恐れと別離への不安に耐えられない者の「現状の破壊工作」と言えます。それは一種のテロ行為でもある。すべてを破壊して無かったことにしようとする。しかし親離れすることが本来の流れであり、そのために怖れを克服することが、「逃避」を終わらせる唯一の方法なのです。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.036 『無意識』 

:

 無意識とは意識できない領域の総称であり、それは抑圧によって生まれると考えられています。問題はこの無意識に自分がやりたいことが押さえつけられているということ。それがなぜ問題なのか。それは、無自覚にやってしまうからです。本人はまったく気付かない。特にいけないと思って抑圧していることを、無自覚にやってしまう場合、相手などから良くない反応が返ってくる。しかし自覚がないゆえに、相手が悪いなどと考えて状況がこじれてしまう。これは一番多いパターンではないでしょうか。
 フロイトは失敗は抑圧した願望の表れだと言っています。つまりそれは自己表現の一端であり、その結果は自分のものとして受け入れることで、世界と自分とのズレは補正されていく。無意識の選択による波紋は必ず跳ね返ってくる。実際に大事な選択を無意識で行っていることも多い。この場合の無意識にあるのは本音でしょう。しかし意識では違うと判断すれば、自分が本当に行きたいところからは離れていくことになる。
 無意識を意識化することは難しい。しかし自分の無意識にも責任をもたないと、自分が「本当にやっていること」がつかめなくなる。しかし逆に言えば、自分の無意識とその選択を認めることは、自分に対する禁止や抑圧を解くことにもなっていく。当然自我の領域も広くなり安定していく。自分の無意識という意識できない領域を、自分なりに知ることが大切、と書いてみましたが、この作業ほど難しいことはありませんね。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.035 『コミュニケーション』 

:

 人が理解し合う手段としてのコミュニケーション。これが真に成立するためには、お互いに相手が何を言わんとしているのかを、理解しようと努める必要があります。例えば相手が外国人で慣れない日本語を使っているとします。発話されているものだけでは意味が取れない場合、相手が何を言おうとしているのかを考えます。推測や想像で補って理解する。もちろん話す方も、出来るだけ相手に理解されるように考えて話す。
 これがコミュニケーションの基本ではないでしょうか。自分だけが分かっていて、ただ一方的に話したり、相手の言うことをただ受け身で聞くだけでは、相互の理解は難しい。言葉を石ころのように拾ったり投げたりするだけでは、原始的なコミュニケーションにとどまります。それは相手にではなく自分のために行なっているにすぎません。そうなるとそこに社会はないということになります。
 言葉の本当の意味は、辞書に書いてあるようなものではなく、使われ方や文脈にこそ宿っています。それを読み取り理解し合うのが本当のコミュニケーション。俳句のような「言葉の空白」を無意味と取るか、豊かに意味を引き出すか。ネット時代に入った情報処理の影響は、コミュニケーションを一方的で額面的なレベルに低下させています。テクノロジーの発達に見合った倫理と対話の前提を作っていくことが大切なのだと思います。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.034 『新しい試み』 

:

 昨年の中頃から、長年続けてきたダイアリーを打ち切り、本のなかから気になる文章を取り上げてきました。これは自分にとってはラクな作業なので頻繁に更新していました。しかし、であるがゆえに、別ページに作っているブックコーナーの更新が滞ることになっています。こちらは本を再度読み通すので、なかなか大変です。元来怠け者の自分は、簡単なほうに流れやすい。これはいけないなと思ったので、次回からは、本の文章ではなく(本はブックコーナーに任せて)、日常の「言葉」や「概念」に焦点をあてて書いて(描いて)いきたいと思います。これもまた、自分にとっての新しい試みであります。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.033 『内部の世界』 

:

 今回はポールオースターの『幽霊たち』から。「これまで彼は、自分の内部にある世界のことなど、ろくに考えてみたこともなかった」(『幽霊たち』新潮文庫p20)。つまり彼は外部にしか興味がなかったということ。言い換えると自己に興味がなく考えることをして来なかった。しかし自己内には世界がある。その世界に気付くことで、はじめてそれを表現することも可能となる。真の相互理解は、この「内部にある世界」によるコミュニケーションによって、成立するのではないかと思います。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.032 『今年のはじまり』 

:

 今年もはじまりました。暦の上での区切りは、実際は心理的な区切りです。本当はただいつものように時間が流れているにすぎません。しかし人間が心理的な動物であるがゆえに、この区切りは重要な機能をもっていると思われます。睡眠が一日の記憶情報を整理して捨てているように、年をまたぐ時の睡眠は、一年間の情報整理と、要らない記憶を捨てる作業が行われる。だからなんだかスッキリする。
 新年はそのようなクリーンな精神で迎えました。毎年合う友人と顔を合わせ、元気そうな姿から、去年と今年の暗示を感じました。年賀状でも毎年絵を送ってくれる人がいて、絵によってその人の近況が読み取れます。これは言語よりもダイレクトかつ正確に伝わってきます。
 絵が専門であり教室の講師もしているので、個性がダイレクトに伝わる「自己表現」を大事にしています。模写やデッサンを基本にすると、「自己表現」にならないのでそこが難しいところです。自己表現が成立すればそれだけ楽しいしストレスも軽減されます。当然見た人にもその人の全体が伝わり、高次のコミュニケーションが成立する。
 去年一年の情報を整理したので、スッキリと余白が生まれています。新たにその余白を活かして、さらに先へと進むことが今年の目標です。そして自分が正しいと思う方向へ、誰がなんと言おうと進み続ける。この気持ちで一年を貫こうと思います。ということで、今年最初の引用は桑原武夫さんの『論語』から。「道を学ぶ自分の価値は自分がよく知っているはずであり、それが世に知られるか知られないかは天命なのだ」。

 

▲ダイアリーページトップへ