REVIEW CINEMA

シネマイラストレーション

 世界には面白い映画がたくさんあります。娯楽であれ、芸術作品であれ、面白いものならなんでもピックアップ。映画100年の歴史を軽やかに横断します!

「スリーピー・ホロウ」Zazie dans le métro ルイ・マル:映画イラスト

vol. 018 「スリーピー・ホロウ」 1999年 アメリカ 105分 監督:ディム・バートン

ティム・バートン作中で最も美しい映画。このような、アンドリュー・ワイエスの水彩画のごとき世界観は二度と作れまい。「首なしの騎士」という迷信めいた主題を、主人公が“科学の目” で追っていくあたりの面白さ。リアリズムで迫りつつも、泥沼のファンタジーと化していく展開の意外さ。そして、イマニエル・ ルベッキという名カメラマンが作り出す映像の美しさ。これらの科学反応が不思議な魅力をつくり出している。迷信に支配された村人に理性(頭)がないという意味では、 首が切り落とされるというのは象徴的である。

「ドラゴン・タトゥーの女」Zazie dans le métro ルイ・マル:映画イラスト

vol. 017 「ドラゴン・タトゥーの女」 2011年 アメリカ 158分 監督:デヴィッド・フィンチャー

この映画の主人公はジャーナリストである。そして物語も彼を軸として、謎の失踪事件を追うかたちで展開していく。しかしタイトルが示すように、内容がどうであれこの映画は“ ドラゴン・タトゥーの女 ”なのである。その圧倒的な“ 個性 ”は、あらゆるタブーを超えて純粋の極みに達している。血塗られた一族の話、強烈な暴力描写、巧みなストーリー展開。これらのインパクトを すべて忘れさせる女。ヘビーなサスペンスではあるが、ダークなラブストーリーとして観ることもできる「ドラゴン・タトゥーの女」である。

「地下鉄のザジ」Zazie dans le métro ルイ・マル:映画イラスト

vol. 016 「地下鉄のザジ」 1960年 フランス 93分 監督:ルイ・マル

ザジの視点で描かれたパリ。愛すべきキャラクターたちがドタバタを繰り広げ、世にもシュールな世界を演出する。 現実でも非現実でもないこの世界は、現代が失いかけた「遊び」の世界。ザジの毒舌に翻弄されながらも、パリの オトナたちは活気に満ちた人間味をあらわにしていく。この映画が世界中で愛されるのは、オトナたちが子供心を揺さぶられるからなのでしょう。

「ノーカントリー」NO Country ジョエル/イーサン・コーエン:映画イラスト

vol. 015 「ノーカントリー」 2007年 アメリカ 122分 監督:ジョエル/イーサン・コーエン

枯れた大地の広がるメキシコ国境地帯。そこで展開される時を越えた追跡劇。
公開当時に話題となった情なき殺人鬼は、アメリカ先住民のヘアースタイル。他の主要人物はみなカウボーイハットという出で立ちだ。この縮図は故郷を奪われた者の復讐劇という テーマを匂わせている。監督のコーエン兄弟がユダヤ系(ユダヤ人は故郷を喪失している)ということもあり、この物語にある種の共感をもって演出したのかもしれない。撮影監督はコーエン作品の常連、ロジャー・ディーキンス。彼の美しい映像が、あまりにも冷たい物語を芸術にまで高めている。

「ストーカー」 アンドレイ・タルコフスキー:映画イラスト

vol. 014 「ストーカー」 1979年 旧ソビエト 164分 監督:アンドレイ・タルコフスキー

「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止区域。そこには願いが叶うとされる部屋がある。案内人”ストーカー”は、作家と科学者を連れて「ゾーン」へ向かう。しかし、政府の厳重な警備と「ゾーン」そのものの性質により事態は予測不能な方向へと発展する。

「惑星ソラリス」に続くタルコフスキー監督のSF映画。しかしここにSFらしき風景は微塵もない。「ゾーン」は美しい風景によって表現され、その美しさは映画史に残るほどのものである。この「ゾーン」は一体なにを意味しているのか。立ち入り禁止区域が存在する日本にとって、今や無視できない映画である。

「軽蔑」 ジャン=リュック・ゴダール:映画イラスト

vol. 013 「軽蔑」 1963年 フランス・イタリア 102分 監督:ジャン=リュック・ゴダール

難解と言われるゴダールの映画。しかしこの「軽蔑」は比較的にシンプルでわかりやすい。ある脚本家が映画製作に携わり、 その過程で精神が崩れはじめる。それは私生活へも影響を及ぼしていく。ゴダールの当時の私生活がそのまま演出に活かされている。その意味では生々しい映画だ。映画の導入部分で引用される「映画とは欲望がつくる 世界の視覚化である」という評論家アンドレ・バザンの言葉がこの映画の全てである。映画製作に対する”代償”を描いた傑作。

「ある殺人に関する短いフィルム」Krótki film o zabijaniu クシシュトフ・キェシロフスキ:映画イラスト

vol. 012 「孤独の報酬」 1988年 イギリス 134分 監督:リンゼイ・アンダーソン

「ifもしも」で知られるリンゼイ・アンダーソン監督の長編映画一作目。身の丈に合わない女性を我が物にすべく、炭坑夫からラグビー選手へと転身する男。しかし階級という見えない構造はそれをゆるさない。

この映画は丁寧な心理描写とリチャード・ハリスの熱っぽい演技が魅力である。日本映画にヒントを得たであろう音楽もすばらしい。現実と過去を行き来する時間の流れも、主人公の葛藤を上手く表現している。勝つはずのない勝負へ挑む主人公は、苦悩の果てに何をみるのか。

「ある殺人に関する短いフィルム」Krótki film o zabijaniu クシシュトフ・キェシロフスキ:映画イラスト

vol. 011 「ある殺人に関する短いフィルム」 1988年 ポーランド 84分 監督:クシシュトフ・キェシロフスキ

ある殺人者とある弁護士の物語。人はなぜ殺人を犯してしまうのか。そして殺人者を裁くことができるのか。映画の冒頭で弁護士はこう独白する「刑罰は復讐である」。

特殊なフィルターで撮影された、暗く視界の狭い映像。殺人者の心理と弁護士の苦悩がセリフではなくこの映像のスタイルによってダイレクトに伝わってくる。 これほど無駄のない手法で撮られた映画はそうそうお目にかかれない。ヘビーな主題だけに見る側も覚悟を必要とするが、ラストで胸をうたれること請け合いである。


「ロボコップ」ポール・バーホーベン:映画イラスト

vol. 010 「ロボコップ」 1987年 アメリカ103分 監督:ポール・バーホーベン

この映画はSFというジャンルに分類されている。もちろんロボットが出てくるので見た目はSF映画である。 しかし内容はというと、まさに社会派そのもの。当時のアメリカ社会が”内側”からリアルに描かれている。なぜなら 監督のポール・バーホーベンは母国オランダからアメリカへ移住し、アメリカを体感して撮影に臨んだからだ。 よってこの映画は「ヨーロッパから見たアメリカ社会」が裏のテーマである。この映画の特徴である過激な描写も、 ブラックなユーモアもアメリカを表現するために選ばれた表現なのだ。コップがロボになること自体がすでにアメリ カを表しているのではないだろうか。社会派映画の傑作。


裸のランチ・naked lunch:映画イラスト

vol. 009 「裸のランチ」 1992年 イギリス・カナダ117分 監督:デヴィッド・クローネンバーグ

ウイリアム・バロウズの同名小説の映画化である。小説のほうは、文章を無作為に切り取りとって繋ぎ合わせるカットアップという手法がとられている。 つまり意味不明な体裁をしているのだ。それを映像化しようという発想が凄い。監督のクローネンバーグは昔から、バロウズのファンだったようである。

映画のほうはカットアップではない(編集とはカットアップなのだが)。映像は琥珀色。オーネット・コールマンのサックスが気だるい空気を乱反射させ、その中を役者たちがまどろむ。

この世界観には賛否両論あるだろう。しかし映像のインパックトは大きく、今でも似たような質感の映画を見かける。バロウズ本人のエピソードが数多く盛り込まれてるので、「裸のバロウズ」というサブタイトルで親しみたい一品である。


狼たちの午後・アル・パチーノ:映画イラスト

vol. 008 「狼たちの午後」 1975年 アメリカ125分 監督:シドニー・ルメット

銀行強盗に走る主人公。労働者階級の苦悩が引き金となって起きた事件は、少しずつ人々の共感を生んでいく。それは人質になった銀行員とて例外ではなかった。
 格差が引き金となった事件があとを絶たない現代。この映画のメッセージは今なお威力を失っていない。実話に元づいた映画だけに、無駄を排した演出と、セミドキュメンタリータッチのカメラワークが効果的。のちに、この映画を着想とした映画が多数作られているという事実が、傑作であることを物語っている。エルトン・ジョンのオープニングソングが心に響いてならない。


「タクシードライバー」:映画イラスト

vol. 007 「タクシードライバー」 1976年 アメリカ114分 監督:マーティン・スコセッシ

この映画はロバート・デ・ニーロの表情に全てが込められている。監督のマーティン・スッコセッシは、監督にならなければ牧師になっていたというだけあって、善悪をありきたりの二分法では描いていない。脚本はホール・シュレーダー。脚本が完成した時点で傑作であることを確信したらしく、あとは誰に撮ってもらうかの問題だったらしい。しかし実際は予想をはるかに越える出来となったのではないか。血のしたたるような傑作。


「スケアクロウ」:映画イラスト

vol. 006 「スケアクロウ」 1973年 アメリカ113分 監督:ジェリー・シャッツバーグ

アメリカン・ニューシネマを語るうえで、欠かせない映画がいくつかある。「イージーライダー」や「タクシードライバー」、そしてこの「スケアクロウ」もその一つだ。若き日のアル・パチーノとジーン・ハックマンの演技が胸を打つ、不器用な二人のロードムービー。アルトマンの「ロング・グッドバイ」を撮り終えたばかりの名カメラマン、ヴィルモス・スィグモンドの撮影も素晴らしい。観終わったあとに何とも言えない余韻が残る名作。


「ストリート・オブ・クロコダイル」:映画イラスト

vol. 005 「ストリート・オブ・クロコダイル」 1986年 イギリス22分 監督:ブラザーズ・クエイ

この作品はポーランドの作家、ブルーノ・ジュルツの「大鰐通り」を映像化したもの。朽ち果てた人形やネジ、ゴムたちが、命を宿したかのように動きまわる。幻想のようなしかしリアルな世界。この世界はクウェイ兄弟ならではとおもわれているが、実はシュルツの小説そのままと言ってもいいくらいだ。クエイ兄弟が以前からこの小説に影響を受けていたことがよくわかる。

 

人形をコマ撮りした、ストップモーションの映画なので全てが作り物。しかし、どこか現実以上に現実的なところがある。このような映像を芸術と呼ばずして、なにが芸術なのだろうか。


カルパテ城の謎:ミハイル・ドチョロマンスキー 映画イラスト カルパテ城の謎:ミロシュ・コペツキー,ルドルフ・フルシンスキー  映画イラスト

vol. 004 「カルパテ城の謎」 1981年 チェコ99分 監督:オルドリッチ・リプスキー

婚約者をさらわれたオペラ歌手テレック伯爵。その傷を癒すべく療養地として訪れた村で、人々から怖れられる「カルパテ城」の奇怪な噂を耳にする。興味を惹かれカルパテ城へ向かうテレック伯爵。その行く先で待ち受けるのは、婚約者をさらった奇人、ゴルツ男爵であった。

 

コメディー×(オペラ + 博物趣味 + SF)。これがこの映画を表す式である。ジュール・ヴェルヌの小説を下敷きにしているだけあって、地底、海底、宇宙のメタファーが、過去とも未来とも言い難い世界にちりばめられている。

この映画の見所は、主役のとぼけたオペラ歌手と、敵役であるゴルツ男爵の変人ぶりであろう。また美術を担当するのは、チェコのシュールレアリスト、ヤン・シュワンクマイエル。彼がデザインする奇妙な小道具の数々を見るのも楽しみの一つだ。監督のオルドリッチ・リプスキーは、つねに一風変わった世界を見せてくれるチェコ映画界の巨匠。 テリー・ギリアムやジャン・ピエール・ジュネの東欧版といったところか。この映画以外にも「アインシュタイン暗殺指令」や「アデラ、ニック・カーター、プラハの対決」が同じ傾向の傑作である。あの寺山修司やクローネンバーグ も愛したリプスキーの世界を、映画好きとして堪能しない訳にはいかない。


フェリーニのローマ:映画イラスト

vol. 003 「ローマ」 1972年 イタリア120分 監督:フェデリコ・フェリーニ

フェリーニの記憶とともに甦る“フェリーニのローマ“。それはイマジネーションの噴出の記録である。カエサルが渡ったルビコン川。そしてローマ行きの列車へ思いをはせるフェリーニ少年。彼はいつしかその列車にのってローマへと旅立つこととなる。

 

フェリーニの自伝的内容を、少年期・青年期・現代の三部構成で描いた記憶のカットアップ。フェリーニを巨匠にまで育てあげた街ローマ。その圧倒的なイメージの連続は、自伝的内容をこえてまさにファンタジー。自伝が幻想化していくような映画は、タルコフスキーやパラジャーノフの映画にもある。しかしその中にあってこのフェリーニのローマは特にエネルギッジュで心を熱くさせる。映画の中盤で自ら登場するフェリーニが、若者たちに語りかける言葉にこの映画の本質がよく表れている。「映画は理論ではない!」。映画が芸術であることを証明してくれる、映画史に残る傑作。


「逃亡者」:トミー・リー・ジョーンズ 映画イラスト

vol. 002 「逃亡者」 1993年 アメリカ 131分 監督:アンドリュー・デイビス

月並みなハリウッド映画は10年たてば古びて見れなくなる。しかしこの「逃亡者」は今見ても十分面白い。 なぜこの映画の賞味期限は切れないのか。その答えは、「無実の罪をはらす」という絶対倫理に訴えるストーリー。そしてトミー・リー・ジョーンズ(以下T・ジョーンズ)の熱のこもった演技に、時代を超えた普遍性があるからだろう。 特にT・ジョーンズ扮する連邦保安官ジェラードの活躍ぶりは見ごたえ十分である。のちにジェラードを主役とした映画が作られたほどだ。 無言の演技が冴えるハリソン・フォードも、この映画ではジェラードの引き立て役にすぎない。

 

監督はアンドリュー・デイビス。彼は以前にも「沈黙の戦艦」や「ザ・パッケージ」(これも地味だが面白い映画)で T・ジョーンズを起用しているが、どちらも悪役だった。この映画のヒットにより、T・ジョーンズは悪役が無くなっていくと同時に、スターへの階段を駆け上がっていくことになる。トミー・リー・ジョーンズというスターはこの映画から生まれたのだ。

「レイジング・ブル」:ロバート・デ・ニーロ 映画イラスト

vol. 001 「レイジング・ブル」 1980年 アメリカ 129分 監督:マーティン・スコセッシ

実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの半生を描いたマーティン・スコッセッシ監督の代表作。 まず、この映画のどこが面白いのかといえば、やはりラモッタ役のロバート・デ・ニーロと弟役のジョー・ペシのエネルギーに満ちた演技である。 特にデ・ニーロは役作りのために25㎏も太り、自らを巨漢にしてしまうほどの凝りよう。そんな映画がつまらない訳がない。 カラーの時代に意図して撮られたモノクローム。これが驚くほど美しい。名カメラマン、マイケル・チャップマンのベストワークでしょう。

スコセッシ監督は主人公をプロボクサーとしてではなく、一人の人間という視点で描き切っている。 人が避けがたい人生の流れのなかで、どのようにもがき、そしてどのように現実を受け入れていくのか。 ボクシングシーンの切れ味するどい編集も見逃せない。