ダンケルク Dunkirk  古賀ヤスノリ


vol. 044 「ブレードランナー 2049」 2017年 アメリカ 163分 監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 1982年制作『ブレードランナー』の続編。レプリカント(労働力として生産されたアンドロイド)を「解任」(殺害)する役目を負った“ブレードランナー”の物語。歴史的な傑作の続編という不利な条件でありながらも、見事にドゥニ・ヴィルヌーヴ版ブレードランナーに仕上がっている。これほどまでに荒廃した世界は、前作よりもタルコフスキーやエンキ・ビラルを手本にしたと思われる。過去の記憶まで移植された、人間そっくりのレプリカンは、“自己の確証をどこに求めればよいのか”という根本問題を突きつける。徹底した世界観と普遍的なテーマが、観る者を深みへと引きずり込む、まさに哲学的なSFである。



CINEMA

良い映画には必ず発見がある!
自分を変えてくれる映画こそが名作です。 そんな世界中にある名作 紹介していきます。



  • 001 「レイジング・ブル」
  • 002 「逃亡者」
  • 003 「ローマ」
  • 004 「カルパテ城の謎」
  • 005 「ストリート・オブ・クロコダイル」
  • 006 「スケアクロウ」
  • 007 「タクシードライバー」
  • 008 「狼たちの午後」
  • 009 「裸のランチ」
  • 010 「ロボコップ」
  • 011 「ある殺人に関する短いフィルム」
  • 012 「孤独の報酬」
  • 013 「軽蔑」
  • 014 「ストーカー」
  • 015 「ノーカントリー」
  • 016 「地下鉄のザジ」
  • 017 「ドラゴン・タトゥの女」
  • 018 「スリーピー・ホロウ」
  • 019 「デューン/砂の惑星」
  • 020 「遊星からの物体X」
  • 021 「ライフ・イズ・ベースボール」
  • 022 「パードレ・パドローネ」
  • 023 「エレメント・オブ・クライム」
  • 024 「ミラーズ・クロッシング」
  • 025 「詩人の血」
  • 026 「バートン・フィンク」
  • 027 「フィツカラルド」
  • 028 「ゼイリブ」
  • 029 「パリ・テキサス」
  • 030 「カッコウの巣の上で」
  • 031 「宇宙戦争」
  • 032 「ロストチルドレン」
  • 033 「複製された男」
  • 034 「フォックスキャッチャー」
  • 035 「女は女である」
  • 036 「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」
  • 037 「キングダム」
  • 038 「ゴーストライター」
  • 039 「ぼくの伯父さんの休暇」
  • 040 「ダークナイト」
  • 041 「氷の国のノイ」
  • 042 「ダンケルク」
  • 043 「プリズナーズ」
  • 044 「ブレードランナー 2049」
ダークナイト: 古賀ヤスノリ

vol. 043 「プリズナーズ」 2013年 アメリカ93分監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 誘拐された娘。容疑者として挙がった人物は、証拠不十分で釈放される。事件を追う刑事の捜査手法に不満を持った父親は、一線を超えた方法で事件の解決を図ろうとする。
 敬虔なる父親が、娘を救うため自身の信仰を捨てる行動に出る。それは自分の死を意味する行為。自己矛盾に引き裂かれながら娘を守ろうとする父親の姿に、本質的な父性の役割を見る。ドゥニ・ヴィルヌーヴの真に迫る演出。ロジャー・ディーキンスの冷たい映像。そして迫真の演技陣。加害者の発生原理と被害者の苦悩が、自己言及的な迷路として描かれた傑作。

ダークナイト: 古賀ヤスノリ

vol. 042 「ダンケルク」 2017年 イギリス、オランダ、フランス、アメリカ 93分監督 クリストファー・ノーラン

 削ぎ落とされた主人公の台詞。風景と化した兵士たち。戦場の限界状況が、新しい角度からダイレクトに伝わってくる。歴史的な事実を「人命」という視点で描いた本作は、ノーランがリスペクトする「シンレッドライン」のような哲学的な表現をあえて抑え、テオ・アンゲロプロスのよな「史実ありのまま」を現象学的に(または詩的に)映し出そうとする。ヒットメーカーならではのドラマも盛り込まれていて、評論家から一般までが一定の評価を下すのではないか。久々に映画界に新しい形式をもたらした“映像が語る”一作。

ダークナイト: 古賀ヤスノリ

vol. 041 「氷の国のノイ」 2003年 アイスランド・ドイツ・イギリス・デンマーク 93分監督 ダーグル・カウリ

 氷の国アイスランドの高校生、ノイ。夢もなく、勉強や努力も放棄したまま過ごす日々。積極性は皆無であるが、反発とニヒルな態度は一人前。そんな彼は、自分だけの地下室にこもり、南国に夢を見る。そして理想と現実の距離を、稚拙な方法で埋めようともがく。美しく、ユーモアに満ち、そして「成長」という人間に普遍的なテーマが丁寧に描かれる。自閉世界が動き出す瞬間を描いた、知られざるアイスランドの傑作。

ダークナイト: 古賀ヤスノリ

vol. 040 「ダークナイト」 2008年 アメリカ・イギリス 152分監督 クリストファー・ノーラン

 クリストファー・ノーランが描く世界には「善悪」という単純な二項対立がない。正義(バットマン)と悪(マフィア)という対立軸に「狂気」(ジョーカー)が加えれらる。「狂気」という全てのルールを無視する存在が、悪をも翻弄していく。単純な悪に対し法と正義は有効だった。しかしジョーカーには何の役にも立たない。「狂気」との戦いには、正義ではなく「暗黒の騎士」こそが必要なのだ。ルールを無視する異常者は現代社会にも蔓延している。ノーランが訴えるのは、狂気との戦いに必要な「光と影」の統合である。娯楽映画としても名品。

僕の伯父さんの休暇:Les vacances de Monsieur Hulot 古賀ヤスノリ

vol. 039 「ぼくの伯父さんの休暇」 1953年 フランス 88分監督 ジャック・タチ

のっぽのキャラクター、ユロ氏が繰り広げるドタバタ喜劇。バカンスの雰囲気に包まれたのどかな空気。幸せなで満ち足りた日々のなかで起こるおかしなエピソードの数々。フランス映画ではあるが、セリフもあまりなく、字幕がなくてみ見れるレベルである。つまりあるがままを楽しむという、映画本来の在り方が表現されている。ゆっくりとした時間と柔らかいユーモア。そして強調される風刺。子どもから大人まで楽しめるフランス映画、という稀有な一作です。

ゴーストライター:The Ghost Writer, 古賀ヤスノリ

vol. 038 「ゴーストライター」 2010年 イギリス 124分監督 ロマン・ポランスキー

 元英国首相のゴーストライターであったマカラの自殺によって、あらたなゴーストライターに任命された主人公。アメリカ滞在中の首相の下で自伝に取り掛かるが、マカラが書いた初稿を探究するうちに、自分とマカラが不気味な重なりを見せ始めていく。
 一国の首相の個人史から浮かび上がるストーリー。それは本人の意思を超えた、ある構造によって規定された物語なのか。首相の自伝という表向きの事実が暗示する「真の事実」とは。ゴーストライターという実態なき存在が表そうとするのは、偽装によって隠蔽された真実である。彼はそれを認識し得た瞬間、腐敗した政治の世界から解放される。ここにあるのは真のジャーナリズム。何もかもがパーフェクトと言える、数少ない映画である。

キングダム:Riget 古賀ヤスノリ

vol. 037 「キングダム」 1994-97年 デンマーク 570分監督 ラース・フォン・トリアー

 デンマークの巨大病院を舞台に起こる奇怪な現象。忌まわしい過去と病院の関係が明らかとなるにつれ、隠蔽された事実と同化していく登場人物たち。この物語は、主要人物を演じる役者の死によって撮影中止となる。
 鬼才、ラース・フォン・トリアー監督が手掛けたテレビシリーズ。94年当時、デンマーク番ツインピークスと言われ、本国デンマークで驚異的な視聴率を誇ったカルトなドラマ。不安を掻き立てるカメラワークと、全編セピアの脱色彩感覚。精神分析としての「抑圧と回帰」が、哲学としての「隠蔽と真実」に対応する凄さ。映画でしか伝えようのないある感覚を、この時期のラース・フォン・トリアーは確実に持っていた。役者の死によって未完に終わった、他に類をみない伝説的な傑作。

アンダー・ザ・スキン 種の捕食:under the skin 古賀ヤスノリ

vol. 036 「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」 2014年 イギリス 108分 監督 ジョナサン・グレイザー

ある任務を遂行すべくあらわれたエイリアン。人間の女性に擬態し、次々と男を暗闇に誘い込んでいく。しかしある男との接触を期に、無機的なリズムは有機的な展開を見せ始める。
エイリアンから見た地球の風景。そして人間の行い。日常が異化された映像は見る者にある「気づき」をもたらす。人間とコミュニケーションを取るうちに芽生える感情。ただ行為する者から一つの意思をもった存在へ。その境界線に立ちはだかる壁が最大のテーマなのかもしれない。ジョナサン・グレイザーによる、いま最も先鋭的な表現形式。 ミカ・レヴィの前衛的な音楽も時代を突破している。歴史的傑作であることを直観させる一作。

女は女である une femme est une femme: 古賀ヤスノリ

vol. 035 「女は女である」 1961年 フランス・イタリア 84分 監督ジャン=リュック・ゴダール

“とってもつれない女”アンジェラは、デンマーク人のエミールと同棲中。ある日、半熟卵をつくる代わりに子どもがほしいと訴えるアンジェラ。 エミールは結婚してからだと突っぱねる。それでも食いさがるアンジェラ。誰でもいいならと、エミールは日ごろアンジェラにちょっかいを出しているアルフレードを呼びつけるのであった。
 ジャン=リュック・ゴダールの監督第三作目にして初カラー作品。話はとてもシンプルな三角関係。そんな物語を、斬新な編集と、意表をつく音楽が屈折させていく。この手法が主人公アンジェラの移ろいやすい性格とマッチしていて面白い。トリコロールを基調とした洒落た美術は、ベルナール・エヴァン(シェルブールの雨傘)が手掛けたもの。「悲劇か喜劇かわからなくなったが、とにかく傑作だ」というエミールのセリフがそのまま当てはまる、愛すべきコメディーである。

フォックスキャッチャー:foxcatcher 古賀ヤスノリ

vol. 034 「フォックスキャッチャー 2014年 アメリカ 135分 監督 ベネット・ミラー

レスリングの金メダリストである主人公は、大富豪ジョン・デュボンからの融資を受けレスリングチーム、フォックスキャッチャーの結成を任される。世界一を目指すために結成されたチームは、やがてデュボンの精神疾患によって生み出された「個人的な欲望」の渦に巻き込まれていく。

「カポーティ」、そして「マネーボール」という傑作を生みだしたベネット・ミラーの監督の最新作。冷たく重厚な形式。それにより物語そのものが、精神的な病理によって生み出されたことを暗示させる。漠然とした不安。どこで爆発するかわからない抑圧された空気。異常なまでに内面を描きだす恐るべき演技陣。破堤へと進む流れのなかに、人間が本来あるべき姿が見え隠れする。しかし事実に基づいて作られた本作は、あるべき姿を凍りつかせる結末を迎える。ベネット・ミラーは現代の病を地平とし、それを乗り越えるためにこそ、この映画を作ったのではないだろうか。

複製された男:enemy 古賀ヤスノリ

vol. 033 「複製された男」 2014年 カナダ・スペイン 90分 監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

ある日、映画のなかに自分そっくりの人物を発見する主人公。その人物は、自由奔放な生活を送る「もう一人の自分」であった。2人の遭遇はお互いの妻をも巻き込みながら、意表をつくラストへと吸い込まれてゆく。
注目の奇才、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督とジェイク・ギレンホールが組んだ二作目。前作「プリズナーズ」ほどの完成度ではないものの、実験的な手法が随所に見られる前衛的な作品である。タイトル通り、複製された男との遭遇がメインとして描かれている。しかし、主人公が大学の講義で語る「支配の構造」がもう一つのテーマである。再三登場する蜘蛛。そして母親や妻のセリフが暗示しているのは、結婚制度と権力支配の関係である。フィルターを活かした極端な色調と、奇妙な音楽がSFのような雰囲気を作り出す。テーマを異空間に置き換えることで、事実を浮き彫りにする。驚くべき才能を秘めた監督による、最先端の試みがここにある。

ロストチルドレン:La Cité des enfans perdus:The City of Lost Children 古賀ヤスノリ

vol. 032 「ロストチルドレン」 1995年 フランス112分 監督ジャン=ピエール・ジュネ

一つ目族なるカルト教団によって、街から連れ去られる子供たち。 弟を連れ去られたサーカスの怪力男は、子供窃盗団の少女ミュエットと共に弟の捜索へと向かう。

世界的にヒットした「アメリ」の監督、ジャン=ピエール・ジュネが作り出した奇怪なダーク・ファンタジー。ストーリーはいたって単純。しかし博士が自ら作ったクローンや、こどもの夢を盗む老化の早い男など、深いメッセージ性に富む内容となっている。子供を連れ去る「一つ目族」とは、富や権力によって片目しか開けない「大人」のメタファーでもあるのだ。ジャン=ピエール・ジュネのまさに両目で作りあげた、イマジネーション豊かな快作。

宇宙戦争

vol. 031 「宇宙戦争」 2005年 アメリカ116分 監督スティーヴン・スピルバーグ

地底から現れた巨大マシン。それは遠い昔に宇宙人によって埋められたものだった。科学の差によって圧倒される人間たち。なすすべなく逃げまどう中、少しずつ宇宙人の目的が 明らかとなっていく。

この映画はH.G.ウェルズの同名小説を映画化したもの。賛否両論あって、絶賛する人もあれば駄作という人もいる。個人的にはとても良い映画だとおもう。特に映像センスは抜群。名カメラマン、ヤヌス・カミンスキーのフレーミングと明暗のバランスは見事としか言いようがない。過去の大戦を彷彿とさせる情景。人間が狩られる側に立つことで、我々が動物へ行っている事を再認識させられる。あっさりしたラストも含め、自然淘汰を暗示させる生物学的な映画である。

カッコウの巣の上で:One Flew Over the Cuckoo's Nest

vol. 030 「カッコウの巣の上で」 1975年 アメリイア133分 監督ミロス・フォアマン

刑務所の強制労働から逃れるために、精神異常を装う主人公。彼が精神病院で見たものは、薬物治療と婦長に怯える患者たちだった。婦長の圧政に反撥した主人公は、病院からの逃走を図ろうとする。

この映画の面白い所は、病院内の人間関係をフロイト的に見ることが出来るところである。 「エス」である主人公は、「超自我」である婦長の監視を振り切り、自由を獲得しようとする。 それを目の当たりにした患者たちは「自我」を広げようとする。 これはまさに精神分析のモデルそのもの。ミロシュ・フォアマンの天才的な演出と、 ジャック・ニコルソンの凄まじい演技が融合したまさに名作。病んだ現代社会の処方箋となりうる映画である。

Paris,Texas:パリ・テキサス

vol. 029 「パリ・テキサス」 1984年 西ドイツ・フランス 147分 監督ヴィム・ベンダース

妻子を捨てて失踪した主人公トラヴィス。彼は空白の四年間を背にふたたび弟の前に現れる。 不在だった四年間の出来事を受け入れていくトラヴィス。そして再開した息子とともに、姿を消した妻をさがす旅へと向かう。

映画ファンの間では不動の人気を誇るロードムービー。心を閉ざした主人公と、テキサスの乾いた大地が独特の雰囲気を作り出す。ロビー・ミュラーの撮影も実に美しい。ハリー・ディーン・スタントンやナスターシャ・キンスキーの演技も秀逸だ。カンヌでもパルムドール受賞ということで、世界が認める一作である。しかしこの映画は「現実からの逃避」を正当化するような見方が出来るという点に、誤解を生む要素を秘めている。実際この作品全体が語るのは「逃避の末路」である。つまり多くの人々が敬遠しがちな悲劇の物語なのだ。

They Live:ゼイリブ

vol. 028 「ゼイリブ」 1988年 アメリカ 96分 監督ジョン・カーペンター

人々に気づかれずに社会を支配するエイリアンたち。彼らは権力の中枢に忍び込み、巧妙な手口で人々を洗脳する。主人公は、ある特殊なサングラスをかけることによってその事実を知る。そして無謀とも思える戦いに挑むのである。

映画の体裁はB級SFホラー。しかしこの作品に込められたメッセージは超A級である。エイリアンたちが人々を支配する手法は、メディアや広告を使ったサブリミナル。これは現代の独裁国家が使う手法と同じものだ。事実を知った主人公が取る過激な行動。そして映画の鍵となる「事実を見透かすサングラス」は如何なる象徴なのか。国家と資本主義のありかたを痛烈に批判した、B級映画の傑作。

Fitzcarraldo:フィツカラルド

vol. 027 「フィツカラルド」 1982年 西ドイツ 157分 監督ベルナ―・ヘルッオーク

主人公フィツカラルドは、アマゾンの奥地にオペラハウスを建設するという夢を持っていた。 しかしそれは莫大な費用がかかる夢であり、常識を超えた発想であった。 彼は資金を捻出するため、とてつもない計画を立てそれを実行しようとする。

信念をもって夢を追うその姿は、妄想に取りつかれた狂人のようでもある。 しかしその夢が実現した瞬間、人々はそれを理解するのだ。 クラウス・キンスキーの鬼気迫る演技。そして生の映像にこだわるベルナ―・ヘルッオークの執念。 二人が作り出した傑作『アギーレ/神の怒り』に勝るとも劣らない、渾身の一撃。このような映画は今後、二度と撮られないだろう。

Barton Fink:バートン・フィンク

vol. 026 「バートン・フィンク」 1991年 アメリカ 116分 監督 ジョエル・コーエン

主人公はニューヨークでは名の知れた劇作家。その才能を認められてハリウッドへ呼ばれる。しかしそこで命じられたのは、「B級レスリング映画」の脚本だった。理想を捨てるよう迫られた主人公は、脚本執筆が困難となってしまう。そして奇妙な事件に巻き込まれていくのである。
 環境の変化は、作家の変化を要求する。郷に入れば郷に従えなのか、 それとも理想に固執すべきなのか。それともこの二つを総合し、解決することは出来るのか。主人公の行き場のない葛藤は、やがて一つのストーリーを作り出していく。作家の想像力とはいかなるものか。それを描いたのが『バートン・フィンク』なのではないだろうか。

「詩人の血」LE SANG D'UN POETEジャン・コクトー:映画イラスト

vol. 025 「詩人の血」 1930年 フランス 50分 監督 ジャン・コクトー

『詩人の血』はフランスの詩人、ジャン・コクトーが最初に撮った映画である。制作されたのは1930年というから80年以上も前だ。もちろん現代の映画からすれば、映像はモノクロで画質も荒い。しかし内容は素晴らしい。詩人の言葉を散りばめたような詩的映像の連続である。 一般的な映画にあるような、明快なストーリーはここにはなく、ただ詩人が自分の想像力を垣間見るというもの。コクトーも自ら、非現実の記録映画だと表現している。

人間のように喋り出す彫刻は詩人にこう告げる、「お入りなさい、あなたが創造した鏡のなかへ」「それはあなたの財産」。想像力が詩人にとって如何なるものなのか。それを映画によって示そうとするコクトーは、やはり規格外の詩人である。

「ミラーズ・クロッシング」Zazie dans le métroコーエン兄弟:映画イラスト

vol. 024 「ミラーズ・クロッシング」 1990年 アメリカ 115分 監督 ジョエル・コーエン

禁酒法時代のマフィアの抗争を描いた、コーエン兄弟初期の傑作。 対立するアイルランド系マフィアとイタリア系マフィア。その間を飄々と渡り歩く主人公トム。そのクールさこそがこの映画の売りである。

時代を意識した世界観、特に美術が素晴らしい。曲者ぞろいの人間関係も実に見事に描かれている。 広角レンズで人物にズームするスタイルは、ジャン=ピエール・ジュネ がこの映画でヒントを得たのではあるまいか。 それにしても内容が黒澤明の「用心棒」にそっくりである。 コーエン兄弟なりのオマージュであることは、いまさら疑うまでもないだろう。

「エレメント・オブ・クライム」Zazie dans le métro ラース・フォン・トリアー:映画イラスト

vol. 023 「エレメント・オブ・クライム」 1984年 デンマーク 100分 監督 ラース・フォン・トリアー

犯罪捜査のため、カイロからヨーロッパへと赴いたフィッシャー。彼は、警察学校の恩師オズボーンが記した「犯罪の原理」の方法をもとに捜査を始める。その捜査方法とは、犯罪者の心理状態に同化するという危険な手法であった。

全編セピア調の画面。ビザ―ルでマニアックな演出。人間の暗部を吐露したテーマ。一般的な映画とは一線を画すこれらの手法は、先にも後にもこの映画でしか見られない(表面的な模倣者はいたが)。監督は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラース・フォン・トリアー。彼が28歳の若さで撮ったのがこの映画だ。知性と狂気が高密度に結晶化した恐るべき傑作。

「パードレ・パドローネ」Zazie dans le métro パオロ、ビットリオ・タヴィアーニ:映画イラスト

vol. 022 「パードレ・パドローネ」 1977年 イタリア 114分 監督 パオロ、ビットリオ・タヴィアーニ

厳格な父の圧政によって抑圧状態にあった少年。かれは小学校から連れ出され羊飼いにさせられる。文盲のまま育った主人公は、やがて徴兵によって父親から解放される。そして言葉をむさぼるように覚えて行くのであった。

これはイタリアの言語学者ガヴィーノ・レッダの自伝である。つまり主人公は文盲から言語学者になる! 家庭環境という前提条件から個人の人生を勝ち取るドラマ。これは全ての人間にとって共通のテーマである。そんな普遍的な物語を、ダヴィアーニ兄弟がザラついた質感とユーモアをもって描き出す。オイディプス神話の流れに乗って、ガヴィーノ少年は言語学者へと進んでゆく。まさに傑作である。

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vol. 021 「ライフ イズ ベースボール」 2005年 アメリカ 83分 監督マイケル・ホフマン

劇作家である主人公が勝負をかけた舞台。その初日に"皆殺しの天使”と呼ばれる批評家がやってくる。 しかもその日は、崇拝するレッドソックスのワールドチャンピオンがかかった日。彼は舞台の初日から逃避するように、バーの野球中継に一喜一憂するのだが・・。

主人公にとっての濃密な一日が、ゆったりとした流れで描かれる。個性的な面々のクセのある演技。暗喩にみちた演出。そしてユーモアのセンス。そのどれもが素晴らしい。脚本はノーベル文学賞候補常連のドン・デリーロ。音楽はヨ・ラ・テンゴ。主演はマイケル・ キートンということで愛すべき一本に仕上がっている。ここにはウェイン・ワンの『スモーク』やロン・ハワードの『ザ・ペーパー』と同質の世界がある。

「遊星からの物体X」Zazie dans le métro ジョン・カーペンター:映画イラスト

vol. 020 「遊星からの物体X」 1982年 アメリカ 109分 監督ジョン・カーペンター

宇宙から飛来した謎の物体X。それは他の生物に接触し、姿をそっくりに変えることができる。 そんな物体Xと遭遇した南極観測隊は、仲間が物体Xではないかという疑心暗鬼の中、過酷な戦いを迫られる。

「見た目は本物であっても、中身は偽物」。監督のジョン・カーペンターは、このテーマに興味 があるようで、のちに「ゼイリブ」という映画でも再び取り上げている。擬態が蔓延した状況下 で起こる疑心暗鬼。これはSF映画であるとともに、社会批判の映画でもあるのではないでしょうか。

「スリーピー・ホロウ」Zazie dans le métro ルイ・マル:映画イラスト

vol. 019 「デューン/砂の惑星」 1984年 アメリカ 137分 監督:デヴィッド・リンチ

フランク・ハーバートの傑作小説の映画化。一般にリンチの大失敗作といわれている映画だが、はたしてそうであろうか。もちろん最終編集権のなかったリンチにとっては悔しい出来だとおもう。しかしフィルムをどう切り取り、どう並べたところで、リンチ質がにじみ出ていて仕方がない。特にアール・デコとH.R.ギーガーをミックスしたような美術が素晴らしい。その悪趣味感はしっかりと『未来世紀ブラジル』や『ロストチルドレン』へと受け継がれていく。製作費は120億円。「デヴッド・リンチに巨額を与えるとどうなってしまうのか」という実験結果がこれである。