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本を読むことで認識が新たなる。これまで読んできた本の中なら、「自分らしく生きる」ために、そして「創作人生」に役立つ本を紹介します。






  • 001 『身ぶりと言葉』
    アンドレ・ルロワ=グラーン
  • 002 『引き裂かれた自己』 
    R.D.レイン
  • 003 『共同幻想論』
    吉本隆明
  • 004 『方法序説』
    ルネ・デカルト
  • 005 『メノン』
    プラトン
  • 006 『自己・あいだ・時間』
    木村敏
  • 007 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
    マックス・ヴェーバー
  • 008 『進化とはなにか』
    今西錦司
  • 009 『緋色の研究』
    アーサー・コナン・ドイル
  • 010 『狭き門』
    アンドレ・ジイド
  • 011 『創造する無意識』
    C.G.ユング
  • 012 『現代哲学』
    バートランド・ラッセル
  • 013 『学校と社会』
    ジョン・デューイ
  • 014 『母性社会日本の病理』
    河合隼雄
  • 015 『茶の本』
    岡倉天心
  • 016 『ゴダール映画史』
    ジャン=リュック・ゴダール
  • 017 『陰翳礼讃』
    谷崎潤一郎
  • 018 『建築はどうあるべきか』
    ヴァルター・グロピウス
  • 019 『生命とは何か』
    エルヴィン・シュレーディンガー
  • 020 『群衆心理』
    ギュスターヴ・ル・ボン
  • 021 『科学と方法』
    アンリ・ポアンカレ
  • 022 『オリエント急行殺人事件』
    アガサ・クリスティ
  • 023 『音楽を語る』
    W・フルトヴェングラー
  • 024 『柔らかい個人主義の誕生』
    山崎正和

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.024 『柔らかい個人主義の誕生』  山崎正和

: Originally published in 1984

「一定のしなやかさを保ち、しかし、そのなかに有機的な一貫性を守ることが美徳とされる」

人間は目の前のものを早急に消費する動物段階から、消費を抑制し「貯蔵と蓄積」を目的とする生産活動(生産する自我)の段階へ。しかし貯蔵が目的化すれば際限がなくなる(現資本主義)。これに対し「消費する自我」は、消費を抑制しながらも、満足を引き伸ばしつつ楽しむ(消費する)。前者を支える自我を「固い自我」、後者を「柔らかい自我」とし、柔らかい自我による個人主義こそが、これからの時代に求められると説く。現代を予見した社会分析は鮮やかである。日本社会に適した個人主義を提案する、まさにこれからの一冊。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.023 『音楽を語る』  W・フルトヴェングラー

: Originally published in 1952

「芸術家と聴衆は、たがいに接近し接触してはじめて、一体となるのです」

20世紀を代表する指揮者であり、クラシック界の哲学者と言えるフルトヴェングラー。彼の貴重な音楽理論を、対談形式で読むことが出来る。リストやワーグナーの時代より始まった「効果ばかりを狙う」ことへの批判。それに対してベートーヴェンが持つ、「非作為的な効果」への賛辞。その「作為なき創造」こそが、時代を超える言語だという。規格化された技巧は、芸術が持つ有機的なつながり(感情)を切断してしまう。内面的な必然性を強調する彼は、論理的でありながらも、やはり直感の人でもある。芸術の究極的なバランスが体感できる一冊です。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.022 『オリエント急行殺人事件』  アガサ・クリスティ

: Originally published in 1934

「あなたがどう感じ、どう思ったかをうかがいたいわけです」

ミステリーの名手、アガサ・クリスティの代表作。階級も国籍もさまざまな人が乗る豪華列車「オリエント急行」。その閉じられた空間で殺人事件が起こる。偶然列車に乗り合わせた名探偵ポワロは、その名高い推理力を武器に、解決不可能と思われる謎に挑む。何も考えずにひたすら没頭できる面白さ。しかし、そこには知的なセンスとヒューマニズムが散りばめられているのだ。ミステリーの古典と謳われる格調高き名作。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.021 『科学と方法』  アンリ・ポアンカレ

: Originally published in 1908

「確率とは蓋然の意であって確実の反対にほかならない」

方法とは「正しい選択」であり、科学とは有限な時間の中で“不毛な組み合わせを排除する”いわば「思考の経済」(マッハ)である。ポアンカレは、科学の前提をなす、数学と定理の発見方法から、論理学、力学、天文学をも丁寧に論じていく。そして、演繹を超える「直感」こそが全ての出発点であることを示唆する。確率論が明らかに不確実であると論ずる本書は、マーケティングやコンサルの前提に疑問符を突きつける。少々難解ではあるが、社会のあらゆる問題点を修正するに余りある“次元を超える”一冊。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.020 『群衆心理』  ギュスターヴ・ル・ボン

: Originally published in 1895

「集団になれば個人の知能は消え失せる」

群衆化した人はどのような心理に変化してしまうのか。いや群衆の中の個人は、心理自体を喪失する。そして感情も同一方向へと固定され、個人の知的判断は消え失せてしまう。そうなった人をル・ボンは原始人あるいは野蛮人と表現する。群衆は過剰に保守的になり、新しい事実を嫌悪する。そして刺激の赴くままに行動する。メディアに扇動されやすい現代人は、いつのまにか原始人に成り下がっているのかもしれない。容赦ないル・ボンの考察が個人主義へ道を切り開く、自由を確保するための一冊。

 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.019 『生命とは何か』  エルヴィン・シュレーディンガー

: Originally published in 1944

「ものごとは放っておけば自然に無秩序な状態へと変わってゆく」

熱力学第二法則(エントロピーの原理)を世に知らしめた、シュレーディンガーの代表的な著書。生命と非生命の違いはなにか。そもそも生命とはなにか。これまでの統計に依存した物理学や化学では解明できなかった領域を、画期的な視点から分析する。複雑な有機化合物であり、高度な秩序を具えた“一団の原子”でもある生命体。その秩序を維持するシステムは「エントロピー回避」のプログラムを具えている。環境から秩序(低エントロピー)を吸収し、内部の無秩序(高エントロピー)を相殺することで生きる。生命維持欠かせない「交換の原理」は、あらゆる領域を正常化させる普遍的原理なのです。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.018 『建築はどうあるべきか』  ヴァルター・グロピウス

: Originally published in 1972

「芸術家の直観力は、過度の機械化に対する矯正手段となるのです」

建築界の巨匠、ヴァルター・グロピウスによる文化芸術論。グロピウスは序文において、「市民は文化のシンボルとしてのアポロンの力(知性)を回復させるよう、要求されている」としいます。芸術家と理解ある大衆が一体となって、はじめて真の文化が形成される。そのためには、すべての人に「かたちを創造する能力」をよみがえらせる必要がある。過度な産業化によって失われた、「美を直感する力」を復活させ、見えなくなった全体を再び浮かび上がらせる。建築を超えて芸術文化の再生を説く、美のための建築論です。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.017 『陰翳礼讃』  谷崎潤一郎

: Originally published in 1939

「陰翳の作用を離れて美はないと思う」

西洋文化が入る以前にあった、日本独自の美意識。それは照明のない暗がりの部屋で発見した「陰翳の美」。そこに「優雅」や「花鳥風月」もあった。翳りという環境は、物体を風流で古色を帯びた美へと変化させる。文明の発達により、照明で全てを照らした世界は、物と物との間にある陰翳のあやを消し去ってしまう。谷崎は、日本独自の文明を模索しながら、文明の利器を鵜呑みにする社会に警鐘を鳴らす。名文で美を語る随筆は、まさにそれ自体が「美」と言える一冊です。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.016 『ゴダール映画史』  ジャン=リュック・ゴダール

: Originally published in 1982

「制約こそがスタイルとリズムをつくり出す」

ヌーヴェルヴァーグの旗手、ゴダールが、1978年にモントリオールで行った講義録。彼が言う“制約”とは「現実」であり「真実」である。映画監督のあらゆる「決断」もそこから必然的に行われていく。映像は「現実」そのものであり、言語に依存せずに世界を見ることを可能にした。ゆえに脚本(言葉)に依存する映画には矛盾がある。その矛盾を現場で修正していく。ゴダールは矢を放つのではなく、矢そのものであれという。つまり映画を作るには、自らが現実たれ、ということなのだ。“映像の現象学”と呼ぶべき名講義録です。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.015 『茶の本』  岡倉天心

: Originally published in 1906

「真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる」

岡倉天心が、明治三十九年にニューヨークで出版した「茶の湯」の真髄。薬用から飲料へ。八世紀の中国で娯楽から詩へと発展した茶は、十五世紀の日本において茶道へとたかめられた。それは道教であり善の儀式でもある。そこに関わる茶人や数寄屋、花たちはすべて“美との一体感”のために存在する。はかなさ、未完の美、非対称、非反復性、どれもが「相対の美学」を構成する。茶道は、日常のむなくるしい諸事情の中にある美を崇拝する儀式。日本が世界に誇るものは産業などではない。茶の湯の精神なのだ。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.014 『母性社会日本の病理』  河合隼雄

: Originally published in 1976

「(敵は)われわれ母性文化の本城である『家』の中にはいりこんでいる」

臨床心理学者が、対人恐怖症の人々と接するうちに発見した母性文化。その見えない構造にメスを入れた画期的な論考。母性原理は、生み育てるもの。それに対する否定的な側面は、呑み込み、しがみつき、死に至らしめる。そのような混沌を、全てを融合し未分化な状態を作り出す“グレートマザー”に見る。その内部では全てが許される反面、自我の確立や善悪判断を失う。そのような「融合」ではなく、「自立」に基づいて他者と新しい関係を結ぶ必要がある。自我を飲み込むグレートマザーとの戦い、日本の現状に対する決定的な処方となりうる一冊。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.013 『学校と社会』  ジョン・デューイ

: Originally published in 1915

「教育には初等も高等もない。ただあるのは教育だけである」

アメリカが誇るプラグマティズム哲学の代表格、デューイによる教育論。学校が陥りやすい、学校と生活の乖離(学校の孤立)を、社会からのフィードバックを取り入れ、再び結合させる。論理(学校)と実践(生活)の相互作用を取り戻すことで、“手本の奴隷制度”ではない、創意工夫や主体性を発達させる“自立したシステム”へと昇華させる。教育とは本来「ひき出す」ことを意味する。機械的な功利性からの解放が、学校を芸術と科学、歴史の拠点たらしめるとデューイは言う。教育制度の形骸化から子どもたちを守る、まさにプラグマティズムな教育の書。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.012 『現代哲学』  バートランド・ラッセル

: Originally published in 1927

「持続性を認めるために、我々は実体という概念を考えだす」

本書は哲学の入門書として書かれたものであるが、量子力学から相対性理論までもカバーした徹底的なものである。その意味では入門書とは言いにくい。しかし「二人の人が厳密に同じ対象を見ることは決してない」という物理空間と知覚空間の非対称性を、科学的な知識を裏付けながら知るには最適の本である。認識と連合法則の関係。因果論の逆行不可能性。科学的でありながらも、科学批判という「哲学の使命」を貫く論考。人びとが知識として疑いない地平。そのパースペクティブを補正する力は、歪んだは資本主義を正す力を持つ。真に実践的な名著。


 

Yasunori KOGA 古賀ヤスノリ

No.011 『創造する無意識』  C.G.ユング

: Originally published in 1930-1985

「芸術は絶えず時代精神の教育に携わる」

心理学者ユングが文芸について語った貴重な記録。とくに1922年に行ったスイスのチューリッヒでの講演は、フロイトの芸術論と一線を画す“ユング節”が炸裂している。ユングによれば芸術作品は、個人を超えた「集合的無意識」から生れるもの。よってフロイトの「還元主義的分析」を適用するれば、作品はたちまち個人の領域へ引き戻されてしまう。本来の芸術とは、時代に不足したものを直感した表現であり、個人の意図を超えたものである。よって、芸術は「美」であるだけで事足りるとユングは言う。時代がユングに追いついたことを感じさせる名講演集。